薪ストーブのカタログ本づくりのお話
もう10年以上も前の話なのですが、ふと思い出したことを書いてみます。
その頃、自分はまだ出版社に勤務していて、隔月刊の雑誌の編集部に在籍していながら同時にムックや書籍も作っていたのですが、ある時、自分が企画した薪ストーブのカタログ本の企画が通り、担当することになりました。
今でこそだいぶメジャーな存在になった薪ストーブですが、当時は、まだ一部のマニアックな人にしか知られておらず、たくさん存在している機種を比較できるような本もネットの記事もありませんでした。いや、あるにはあったのですが、メーカーから写真を借り集めてつくったものばかり。それで、当時日本で入手可能な薪ストーブを全部同じ方向から撮影して見比べやすい本をつくったらどうだろう、と思ったんです。今思えば、若気の至りですね。いや、全然若くはなかったんですが、なんかやってやろうという意気込みがあったんでしょうね、多分。
世に何百台もある薪ストーブを、同じ方向から撮影するということが、どれだけ大変なことかお分かりでしょうか。自分は全くお分かりじゃありませんでした。
まず、どこで撮ればいいのか。もちろんどこか広いスタジオで撮れれば何の問題もないのですが、鉄の塊で、大きいと200Kg近くもある薪ストーブを何十台、何百台もスタジオに搬入して撮影するなんて、予算的にも肉体的にも精神的にも不可能です。
ではメーカーの展示場ででしょうか。いや、何台もの薪ストーブがひしめき合って並んでいる展示場では、他の薪ストーブと被ってしまって斜めからの写真を撮れないことがほとんどなんです。しかも、1台の薪ストーブにつき、何カットも(確か正面、斜めから、横から、炉内という4枚の写真)撮ると決めてしまったので、余計に難しい。
悩んだ挙句、結果、各メーカーさんの倉庫の一角をお借りして簡易スタジオ的なスペースをつくり、倉庫にストックされている薪ストーブを1台ずつ撮影していくしかないと思い至りました。で、各メーカーさんに前代未聞のアポを取りつつ、同時に合板とキャスターで専用の台を製作。これは、薪ストーブを載っけたまま移動や回転がさせられるようにしたら撮影しやすいんじゃないかと考え設計したものですが、これをやっている時点で、もう自分は何をやっているんだろうか感が半端なかったのを覚えています。
そして、実際の撮影は、カメラマンさんともう一人編集部の助っ人との3人、暗い倉庫の一角で、ストロボやバック紙でスタジオらしきものをつくり、延々と撮り続けました。何社行ったでしょうか。大きなメーカーさんの時には何日間も続けてやりました。
大抵は輸入されてきてそのまま倉庫にある薪ストーブなので、木枠でがっちりガードされていたりして、まずはそれを運んできてバールとかで分解するところからスタートします。それだけでも実は大変なのですが、モノによっては本体に脚を付けたりする必要もあるわけです。100Kg以上あるのが普通の薪ストーブを、持ち上げつつ脚を付けるだけで一苦労。そして、用意した専用の台の上に、薪ストーブをよっこらしょと持ち上げて載せなくてはならないわけです。この重さ、体験してみないとわかりません。薪ストーブ、運んでみてください。1日何十台も。本当に嫌になります。
当然、お、お、ちょっと待て、的な展開や、あ、ちょっと無理、無理、的な事件が頻繁に起きるわけです。そして、これを1日に何台、何十台もやるわけです。自分は理不尽なことに対して「自分を無にする」という体育会系ならではの特技があったからなんとかなったものの、もし意識が高い文化系編集者だったら、途中で放り投げてしまったに違いありません。完全な肉体労働ですから。
さらに、今思い出しましたが、当時はデジカメではなくフィルム撮影でした。ポラロイドも使っていたので、当然時間かかりますよね。
今の若い方にはポラロイド撮影と言ってもわからないかもしれませんから説明しますが、フィルム撮影では設定した絞りとシャッタースピードで、実際にどんな風に撮れるかわからないので、テストとしてポラロイドを撮ることがありました。撮ったフィルム?にハァーっと息を吹きかけたり、手で擦って熱を加えたりしてその場で現像して仕上がり予想を見るのですが、これだけで時間がかかってしまいます。デジタルカメラの普及で、今やこんな苦労は完全になくなりましたが、昔のあのハァーとかスリスリとかは一体何だったのか、そんなことを何年もやっていた自分の人生とはなんだったのかと、本当に考えさせられてしまいます。
いや、そもそも論で言えば、これだけ苦労して薪ストーブのカタログなんかつくっても、誰もわかってくれませんし、多分ムダな作業なんです。実際、こんな苦労した撮影も本の実売数に影響はほぼなかったと思います。悲しい事実ですが、それが現実です。自己満足でしかないんです。でも、そんなくだらないことをしているのが面白かった。楽しかった。
自分は、どんな本や動画をつくりたいかと言われたら、「売れる本や動画」と即座に答えるタイプで、「売れなくてもいいから自分らしいこだわりの本をつくりたい」というタイプではありません。しかし、本も動画も、つくるときに、自分でさえ満足できない作品を、世の皆さんが満足してくれるはずもないよな、とも思うのです。
飲みながら何の結論も考えず書いているので、訳が分からなくなってきました・・・が、ムダとかくだらない作業とかも、作業する側には多分大事だよなってことです。管理する側がムダをなくしたいと思うのは当然だけど、作業する側がそう思っちゃ、つまらないものしかできません。
とにかく、あのムダな作業を許してくれた当時の上司の編集長に感謝です。僕よりはるかに若い編集長さんだったけれど、尊敬できるし、彼の決定なら従おうと思える人でした。今は山形にいるけど、また会いたいな。
-
前の記事
川村光大郎さんとオカッパリロケへ 2018.10.12
-
次の記事
ログハウスと薪ストーブ ドブレ・ヴィンテージ 2018.10.19